浪人大学生の生きる理由

初めてのブログである。思ったことや好きなものをただ記録しようと思う。

更新

早くも二週間近くも空いてしまいました。

 

いざ記事を見直すとなかなかきついものがあります。

 

ここ二週間でかなり私の心構えが変わりました。二週間ずっとジムに通いとにかく体を動かしていました。

体を動かすのは好きです。生まれて15年近く水泳をやっていた身でしたが肩を壊してからゲームにハマりもはや引きこもりレベルで体を動かしていませんでした。朝までゲーム漬けで人間として終わっていましたが徐々に健康レベルが一般人に近いてこれました。朝と夜の区別がつかなかったのが23時には電池がきれたようにぐっすりです。

朝はちゃんと6時に起きれて筋肉痛に泣いてます。

 

閑話休題

 

せっかくブログを始めたので目標ややりたいことを並べてみたいと思います。

 

単位をとって9月卒業をすること

留年から目を背け身を投げることを考えたが大学から9月卒業というカリキュラムがあることを教えられました。これの存在が私を立ち直した要因でした。

 

体を丈夫にすること

かなり水泳をやりこんだため筋肉は人よりありますがこれはなんにも使えない硬い筋肉でただ歩くだけでへとへとになっていました。

ジムに通うことは楽しいのでちゃんと続けること。

 

就活も卒業と一緒に終わらす

えり好みしないでたくさんの企業に興味をもつこと。

 

ここからはせっかく拾った一年を生涯で一番濃いものにするためにやりたいことを羅列してみます。

読書・物語を書いてみる・パソコンをもっと詳しくなる・珈琲の勉強・筋肉の勉強・猫の病気のについての勉強・たくさんのバイトをする・挫折したギター・服や色の勉強・料理・曲のMIXの勉強・お金の勉強・動画編集・写真・カスタムIEMを作る

 

ふと考えただけでこんなにもありました。

昔から趣味はたくさんありましたが後回しにしてたこともたくさんあったことも書いてみると色々と見えてきますね。

幸いながらコロナ禍でも家でできそうなものばかりでよかったです。

 

詳しい趣味については次回以降書けたらいいなと思っています。

みてくれた皆様ありがとうございます。

 

前回とは変わって「です、ます」表記で書きましたがこちらの方が見やすいのでしょうか。

語尾については考え中です。

私は死に囚われている

 

こんなふうに文字に起こして書いてみると誰しもがある成長段階にみられたアレを思い出しソワソワする人がいるのかもしれない。

 

だがこれはそれほど考えることではなく、幼少期に花壇の上や歩道の白線部分から降りてしまうと下はマグマだったりするただ単純なものだ。

 

基本的にこれは体と思考の成熟に伴ってなくなっていくものだが私はそうではなかったらしい。

遊びから癖に変わってしまった。

 

これを意識したのは高校三年の時だった。私の高校は基本的に推薦を用いて専門学校や大学に進学するのが一般だった。

だが私は大して学がないのにもかかわらず高校の先生と仲が悪く推薦を蹴って一般を希望した。

そのため親に大金を積んでもらい塾に入れてもらった。目指していた大学も高望みしていたおかげでもちろん普通に落ちた。

ここまでの話はよくあることだが滑り止めの大学でさえ落ちてしまった。

 

でもこれは前期の話でまだ後期が残っていた。だから私は死ぬ気で勉強した。ここでいう死ぬ気はやる気の表現であったが試験が終わり合否日が近くにつれて表現ではなく意思に変わっていった。

 

失敗したら死のう

 

運良く大学には合格してそんなことなかったように自堕落に大学生活を生きていた。

そんな大学生活も時が流れ四年生へ。四年生ということは大イベントがある。それは就活活動である。今年はコロナ禍もあり私の希望していた企業は軒並み募集をやめてしまった。私は気を落とし就活から目を逸らしゲームや趣味に逃げてしまった。

 

そして10月になり乱れた生活習慣のせいでオンライン授業でさえ出席しなくなっていた。ここで就活以前より大学卒業が危うくなってしまった。

取らなくてはいけない授業の前期試験があまりにも悪かったのだ。

 

この紛れもない事実に遭遇してしまった時に私は逃げたのである。

 

12月、私は最終レポートに追われていたがそれを途中で投げ捨ててしまった。

そしていつ死ぬのかを考えていた。

となるとこれが意外にもストレスフリーに生きていたと今となっては実感した。

追われていたことを全て投げ捨てやりたいことだけをやる時間は文字どおり肩の荷がおりて生きやすかった。

しかしカレンダーをみることや好きなソシャゲのイベント告知など数日後に必ず起きる事象が恐ろしくなり、夜になると死への恐怖が朝日が登ってくるととともに襲ってきた。

 

死ぬのが怖い

 

結局卒業ができないことを隠して三月まで死に切れず思考を放棄して私欲に溺れては恐怖に震えていた。

だが卒業式の日が着々と近づいてきた。

私はその前日に実行しようと着実に準備を始めていた。

私の死へのイメージは首を吊ることや薬の過剰摂取だった。そのため近くのホームセンターでロープを二種類と近くのドラックストアで風邪薬や睡眠導入剤を買った。出費は痛かったがどうせ死ぬのにこんな思考にいたるのは我ながら阿呆すぎる。

 

実行日は直ぐに迫ってきた。

その日は家で母親と食事をとり何事もないまま部屋に戻った。これで最後になるのに自分を愛してくれた大好きな母親に一言も言わなかった。言えなかった。

ただ私の亡骸を発見した時の母親の顔を思い浮かべると何も言えなくなった。

 

死ぬのは母親が完全に寝静まった深夜にしよう

 

そう決め私は睡眠導入剤を全て飲み好きな音楽や動画を漁っていた。死ぬという実感から逃れるために。

アラームが鳴り飲んでいた睡眠導入剤が全く効いてないことがわかると同時に首を吊る際のロープの結び方を動画で調べた。

これが意外にも難しい。Youtubeに普通にあることがおもしろい。苦戦しつつ結局オリジナルの結び方でクローゼットに取り付けた。

あとは首にロープをくくりつけタイミングを見計っていた。

 

いやいやタイミングってなんだ 早くしろよ

 

心構え?を決めいざ首を吊ろうとするとこれが本当にきつい。首吊りって一瞬だけ痛いものと考えていたが全然苦しいし痛い。

こんなことを一時間続けた。

まったくともって死ねる気配がないし首に赤いロープの跡がつくだけだった。

 

首吊りは諦め次は錠薬の大量摂取を試みた。

大量というのも一瓶だった。

私は普段まったく飲まないアルコールである赤ワインとその錠薬を一気飲みした。

 

30分後、脳内でアイドルのラストコンサートが行われているような心拍数の高まりと大きな頭痛に襲われた。

 

これは死ねる

 

そう確信したがその後すぐに嘔吐を催し全て吐き切るとむしろすっきりしてしまった。

そうして朝日を迎えた。

 

卒業式当日、当然のごとく母は私を起こしに来た。

私はその母の顔を呆然と眺めることしかできなかった。

 

何寝ぼけてるの?

 

私はとりあえずスーツに着替えて卒業式に行くふりをした。

家で死ぬのは無理だ。母に見せられない。

 

私は以前から好きだった図書館へ電車を乗り継いで向かった。

ここには高校生の時悩んだり特にわけもなくよく行っていた。俗に言うお気に入りの場所だった。

久しぶりにきたここは感染症対策がよくされており予約制になっていて私は入れなかった。仕方なく近くのビジネスホテルを探しチェックインの時間までマックで呆然と過ごしていた。

チェックインの時間となり客室のベットで横になり死に方を考えていた。

 

川へ落ちるか。また錠薬をためしてみるか。山とか行ってみおうか。

 

ここでスマホである記事を見つけた。

私と同じように自殺を考えていて錠薬の過剰摂取を挑んだ記事だった。

 

まず今の市販で買える命を断つのは難しいということ。もし規定の量を摂取でき場合でも死には至らず大きな障害を背負うことになること。

そこには味覚障害や半身麻痺など残酷な現実が載ってあった。

 

私は家族のことを愛していたしこれ以上ないほど良い両親だと思っていた。

だからこそ電車に突っ込んだりビルからの飛び降りは選択肢になかった。

でも考えてみると家で死んだ場合にはその家は事故物件になるし、錠剤は障害を伴う場合があるしホテルで死のうなら賠償金を求められる可能性だってある。

 

迷惑をかけずに死ぬことなんて絶対に無理である

加えて人間は案外しぶといし簡単には死ねないこと

 

いままでの人生で嫌なことをあったら死ぬことを逃げ道として残していたがいざ実践してみるとこれはなかなか難しい。

これはどこかで見たことで自殺を推奨することでは決してないが

 

自殺を失敗することで死にたくなくなる

生にしがみつこうとしている自分に気が付く

 

その後両親に電話して今までのことを全て話した。

私は自分の内面は人に決して見せたことはなく今回初めて曝け出した。

 

母親は私を責めるのではなくむしろ謝り始めた。

 

気付いてあげられなくてごめんね

 

私はてっきり留年のことや勝手に命を粗末に考えたことを責められ呆れられると思っていた。

私が謝らなきゃいけないのに。

私が迷惑かけてお金もいっぱい無駄にしたのに。

そして父親は

 

迷惑なんてまったく思っていない。いなくなられることが何よりの迷惑だ。

自殺を考えることは自由だが実行に移すことは犯罪行為だ。

もし私たちに迷惑をかけたとそう感じるのなら生きて償って。

 

私は行為に移した犯罪者だと。

それを償うには物事を考えて生を全うすることだと。

 

私は猛省した。なんて愚かで自分勝手な行動だったのかを。

私の命は私のものだと。

そんなことはなかった。私が迷惑をかけまいと考えて死んだところでその行為は自分可愛さな自己満なだけで周りには多大な迷惑と一生消えることない傷を与える犯罪者になってしまう。

 

私が今回ブログを始めて最初にこれを書いたのは私自身の区切りであり戒めであり決して忘れないためである。

世界を知って私より過酷な人が必死に生きていることを私自身の目でみて人生を全うして罪を償いたい。

 

文章を書くのはあまりないため稚拙な文章で申し訳ない。

ここまで読んでくれた方々に感謝する。

 次回からはやりたいことや好きなことをまとめてみたいと思う。